先生のコネ採用

色々なブログで話題になっていて、トラックバックしようかと思いましたが、途中から乱入するのも話を混乱させるだけだと諦めまして、単なる感想の吐露にとどめます。

さて、僕が大学生の頃、在校生の1割以上が教職員免許を取得していましたと思います。当然友人にもいたわけで、何故教職員免許なんて採るのかと理由を聞くと「何かあったときに潰しが利くから」と。でも、「先生になる気あるの?」と聞くと「いや、学校の先生はコネが無いとなれないから」と。「コネが必要な資格とっても、潰しにならないだろう」と、当時偉く疑問だった事を覚えています。まあ、そんなこんなで、コネが必要そうである事は、多分誰でも知っている事でしょう。
多分、学校の先生というのは公務員であって、一旦雇用されてしまうと本人が辞めなければいつまでも先生をし続けられるのではないかと想像します。どうなんでしょう*1。資格取得=就職ではなく、資格取得後に公務員として登用される必要があるため、資格取得者過多にして、採用が少なめになってるのだろうと。そういう状態では、採用されるという事自体が最大の関門でありまして、そこでは色々な事も起きるだろうし、採用されなかった人のやっかみによるコネ幻想なんてものも出るでしょう。困った事に、仮にそんな事実がレアケースであっても、多くの人はコネ幻想を信じているので、採用を求めて働きかけをする者は後を絶たないだろうし、中にはそれを当然の権利として受け入れてしまう採用責任者もいる事だろうなと。

#ところで、公立の学校の教員を辞した者が学習塾や私学で雇用された時に、天下りになったりしないのでしょうか(笑)

こういうコネ神話はありとあらゆるところにありまして。テレビでニュースキャスターが「機会の均等が損なわれているのは勿体ない」とか言っているのを聞くと、「でも、某局の某アナウンサーが某大学で非常勤の講師していて、そこのゼミ卒業生の某局女子アナとの回顧話をテレビでやってたのは嘘だったの?」とか考えてしまいます(笑)。

まあ、今まではそういう世の中だったのですが、コンプライアンスが流行語になるくらいですし、こういう細かい事が厳しく問い詰められる時代になってしまったのでしょう。そういう社会の中で生かされる身としては、一人で気張ってみてもドン・キホーテにしかならないので、黙って受け入れるしかないでしょうね。

ただ、個人的には、人の採用なんて、「採用してみなきゃ使えるかどうかなんてわからん」とも思うわけでして、縁故があろうが無かろうが、「白い猫だろうが黒い猫だろうがネズミを採る猫が良い猫だ」みたいな事になろうかと思います。そういう意味で、地方公務員問題につきものの、働くインセンティブを欠いた公務員というステレオタイプがなくなるような、そういう制度が望まれているのだと思います。その問題を、単なる「口利き疑惑」なんぞに落としこんでしまうのは、いかにも勿体ない。マスコミのジャーナリスト魂は、どこへ行ってしまったのかと思います。


あと、中小企業ではコネ採用が多いという話があります。それについて、云々される方がいるのですが、この際なので現実をお伝えしておきます。

1.一般から募集しても人材が集まらない
中小企業では、就職ガイダンスなどに顔を出す余力が無いところもたくさんあります。仮にガイダンスに参加して、一般から広く希望者を探しても、なかなか希望してくれません。当然、一般からの新卒雇用の比率は低くなり、相対的に縁故の比率があがります。要するにチャンスが低すぎるというのが現実であります。

中小企業といっても、一通りの企業の体制は必要(しかも、組織ができていないので個人に依存する度合いが高い)なので、誰でも採用できるというわけではありません。大企業の場合は、放っておいても大学レベルなどで均質化されたそれなりのレベルの人材が集まってきますから、たくさんいる中から篩い落とし方式で効率的にチョイスできます。が、中小企業では、希望する人のレベルがおのずと低くなるので、たった1名来た就職希望者を採るか採らないかで悩んでしまったりするわけです。というわけで、むしろ就職希望者と採用する側の希望するレベルのギャップが大企業と比較したらとても大きいという事です。

2.縁故採用は身元がしっかりしている
中途で採用する際には、その方が「何故前の職場を辞めたのか」を知る事はとても重要でして、場合によっては履歴書を見て、前の職場の人事部に連絡して聞いてみるなんて事もあるかも知れません。一番確実なのは、身元を保証してくれる人が存在する事です。それゆえ、縁故とかコネとかが増えてしまいます。縁故とかコネなら、問題社員になった時に、「紹介者に裏でお説教してもらう」事もできるわけですし、本人には、紹介者の顔を潰してはいけないというプレッシャーもあります。というわけで、中小企業における縁故採用の紹介者は、企業側から見ると、採用した人がちゃんと働いてくれるための、人質みたいな側面もあったりします。
もちろん、これは一面でして、「俺は社長と個人的に知り合いなんだ」なんて勘違いして、でかい態度をとってしまう勘違い縁故者もいるわけです。たいていの場合、最終的に解雇せざるを得ないところまで行きます。この程度の損得勘定ができないのであれば、仕方がありません。縁故の問題は、こういう人が起こしているわけで、ちゃんと働いている人もたくさんいます。

3.営業的メリット
主要顧客の役職者のご子息とか、そういう縁故採用もあります。こういうのは、履歴書などで判明したらかなり有利な扱いになります。とはいえ、問題社員になった時に解雇しづらい情況なので、縁故を持ちかけられると大変に困ります。営業などが縁故を持ちかけられたら、「伝えたら落とされるので伝えませんでした」という対応をするか、ドライに採用しておいて、相手に苦情を言って交渉を有利に導こうとするか。後者だと本人は幸せではありませんね。でも、縁故を持ちかけられずに、そういう立場の人である事がわかったら、面談次第ですが、当然他の人よりは採用したくなります。



最後になりましたが、そんなこんなで、僕は、贈収賄は問題だと思いますが、単なる人間関係で手心を加えただけであったなら犯罪となるかどうかという視点にはあんまり興味がなかったりします。むしろ、採用した後の人事評価制度の方が重要じゃないかと思う次第。

そして、紹介によるメリットを享受するため、むしろ「紹介者制度」をオフィシャルに設けて、紹介者は被紹介者の成績に対して連帯責任を負うようにした方が良いのかもと思ったりします。実際、ある種の「ギルド的組織」では紹介者制度があります。ゴルフのメンバーシップ(会員)とか。僕が所属していた某社団法人なんかも、定款に「紹介者が3名必要」と書かれていて、紹介者には会費未納の時の立替払いとかいくつかの義務が課されています。そういや、大学教員・研究者の就職活動だって、紹介状が重要だったりしますよね?

ここまで書いてハタと気がついたのですが、もしかして、最近は「紹介者」が紹介者たる義務を果たさなくなってるのかな?

← 「へぇ」と思ったらクリックを!

*1:最近は教員資格の更新なんて制度が話題にのぼっていますが。