競争という言葉

上手くまとまるかわからないので、「つぶやき」カテゴリーで。

当たり前の話だけど、「競争」という言葉には一般用語とテクニカルタームの、少なくとも2つの意味がある。一般用語というと、複数のものが競い合う事になるんだろう。テクニカルタームとしても、実は「経済学」と「経営」では別々の意味合いで使われているように見える。

「経済学」というカテゴリにおける「完全競争」の条件は、

1.原子性。市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を他者に与えない。特に全ての会社がプライス・テイカーでなければならないことに注意。
2.均一性。すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。
3.完全情報。全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。
4.平等なアクセス。全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で移動可能である。
5.自由な参入。全ての会社が市場に自由に参入・退出できる。
wikipedia「完全競争」より

とあるように、基本的に市場参加者がガリバーであることは真っ先に否定される。

一方、「経営」の世界で「競争力」と言った場合には、なんとなくではあるが、

1.市場占有率の高さ
2.商品の差別化の度合い
3.ブランドの確立
4.簡単にはまねができない技術
5.参入障壁の存在

みたいな感じで、真っ向から対立する概念*1となるように思う。

この事は、「競争」という単語を含む言葉を使って議論をするときに、時々とんでも無い混乱をもたらしているように思ってならない。

個人的には、昨今の「構造改革」によって、どんどん完全競争の条件が満たされなくなっているように見えて仕方がない。理念と政策の効果は違うのであり、ある政策が必ずしも予想したとおりの効果をもたらさない事はミクロ的政策においては比較的良くある現象だ。というわけで「構造改革という看板を掲げているから完全競争が成立するような事を行ってくれる」と盲目的に信奉するのはおかしいと思う。また、「市場原理主義」と呼ばれる人たちも、完全競争状態を実現することが目的ではなく、むしろ「完全競争条件」を成り立たせるために敢えて導入されている各種の競争制限的制度を廃止する事で、競争力を持った企業を育てる(あるいは自社がそうなる)=どちらかというと不完全競争型の市場を作り出す事を目的としているように見える。というわけで、「競争社会の弊害」という言葉にも、「これは不完全競争なんだから、競争と断定したようなネーミングはやめて欲しい」みたいな違和感も覚えてしまう今日この頃でありました。

「競争」という言葉で生じる混乱といえば、そろそろ古いネタになってきたけど「日本の国際競争力」という言い方を個人的NGワード*2にしている。経済学では「比較優位」という言葉は存在しても「国際競争力」という言葉は存在しないんじゃないの?みたいな。そして、比較優位という概念には競争をして勝ち取るみたいな概念は含まれておらず、単に「完全に貿易がフリーであり、産業の調整がスムーズであるなら、あるがままに分業が進んでいき、それにより世界の生産力は増加するだろう」という予想があるだけではないかと思う次第。なんとなく、重商主義の臭いがするというか、急に大航海時代に逆戻りしてしまったかのような錯覚を覚えるのであった。

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*1:わざと対比可能なように選んだけど、いくつか追加する事はあっても基本的にはこんな感じで間違いないと思うのですが、いかがでしょうか?

*2:この言葉を使った人はトンデモ認定するという個人的基準