続々・毒餃子

「中国産食材を使わなければ日本人は食っていけない」「中国からの輸入を禁止しても他の国から輸入するから一緒」という意見を述べて輸入規制に予防線を張る人がいますが、規制といっても別に輸入禁止だけではありません。

一連の流れを見ていればわかりますが、日本側の公権力が及ばない海外で発生した問題に対して、日本の行政がとれる手段は限られており、同時に輸入商材を全部チェックする事は不可能です。つまり衛生基準の遵守状況については製造元の善意*1に頼るしかないわけです。善意に頼る以上、モラルハザード的な状況が発生し、国内製造メーカーとの不公正な競争になりえます。いわゆる品質を偽って同等品質のふりをして安価に売る類ですね。

とすると、規制は恐らく輸入販売元への「かなり重めの結果責任」という事にならざるを得ません。安い食材を消費者がリスクを負って食べて見て、自らの身体で結果責任を負うのではなく、輸入販売元が安く買ってくる行為そのものにもリスクを応分してもらうわけです。これが人命に関わらない事なら消費者の自己責任でよいですが、人命・後遺症が絡むので、これは必要な措置だと思います。でなければ、カネミ油症事件なんてのは、全て消費者側の自己責任という事になってしまいますからね。

というわけで、このことが原因で国内で価格が上がっても、それは受け入れるべき価格上昇だと思います。付けくわえるなら、完全輸入禁止(あるいは、チャイナフリー運動みたいな全面排斥運動)と比較したら、「工場に管理者を派遣していたり、あるいは自社工場として運営している、まともな業者は自己責任で輸入を続行する」分だけ、供給量の確保に寄与し価格上昇を抑えられます。

予断ですが、価格には「品質」情報も含むシグナリング機能があると、経済学では考えられるわけで、「価格が一緒なのに、品質が異なり、それが購入前には判断できない状況」を情報の非対象性と呼びます。一方、最近見聞きする事例は「ブランドが品質を保証し、価格は1物多価」なケース。価格の差異が流通コストにのみ依存するのであれば、販売チャネルの淘汰と、既存業者の学習を通じて、最終的に1物1価に収束していくと経済学では考えますので、ほとんど分析対象になっていないように思います。しかし、現実の経済は長期的均衡状態にはなかなかならず、順次いろいろな事象が起こり、常に一定量の不均衡が存在しています。加ト吉ミートホープ毒餃子みたいな品質の偽装もその極端な一例です。品質の劣る部分を隠し「安さの理由がほかにある」と思い込ませていたわけです。彼らは、いずれは淘汰されますが、それが人生より長いか短いか。あるいは、一定量の不均衡が市場の何パーセントか*2。こういうところはほとんど考えられていません。僕もわかりませんが、なんとなく肌で感じているヤバさというのはあります。

デフレが長期化して買い手独占がなかなか改められないと、買い手独占という不公正競争が、納入業者の逆選択を生じて、こういう現象が起きているのかなぁと思ったりもしますし、アメリカのチャイナフリー騒動を見ているとデフレなんて関係なしに、マーケッティング・ブランド戦術が発達した事によって、市場機構が阻害されつつあるようにも見えます。

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*1:ペナルティーが日本国内で問題を起こした場合より小さいので、国内向け対応は業者側の善意と言っても過言ではない

*2:今だって、ほかにも似たような問題は隠れているかも知れない。